二次元アイドルコンテンツにおけるKING OF PRISM

ラストキンプリを見てきた。

『KING OF PRISM by Pretty Rhythm』、略してキンプリ(当ブログに以前書いた某アイドルグループじゃないよ)をあと2ヶ月は見れない生活が続くのは初見のキンプリを見るくらい意味が分からない*1ので今から生き方を模索していこうと思う。

最後に見たキンプリは一言一言が胸にじんわり広がるようだった。特にシンくんの「みなさんは覚えていますか、初めてプリズムショーに出会ったときのことを!」のセリフは、初見時には味わえなかった感動を感じた。


私が『KING OF PRISM by Pretty Rhythm』出会ったのはキャストの声優さんのブログがきっかだった。ふーん、またアイドルの話かぁ。そう思いました。全然そんなことなかった。


『ROAD to Over the Rainbow ~デビュー2周年記念DVD~』の中に収録されているエーデルローズ入学説明会(キンプリ制作発表のとき)で菱田監督がおっしゃっていたことがある。「アイドルアニメが主流になっている今キンプリを作る意味があるのかと考えたが僕たちが作ってるのはプリズムスタァで、我が道を行くことにした」(原文まんまではない)

私は普段雑多にアイドルヲタをやっているが、ここ最近の二次元アイドルブームに疑問を感じていた。似たり寄ったりの設定、見たくないのに見せられる芸能界の裏側、どこかで見たことがある声優の組み合わせ・・・。アイドル大好きな私でさえこのアイドル戦国時代の飽和に疲弊しはじめていた。


その中でもキンプリは異彩を放ち2016年相次ぐアイドルアニメ化のダークホースとなった、と私は思う。キンプリは二次元アイドルの勝者じゃなく勇者だ、とでも言うべきか。私はその両方だと思っているのだが。

その理由として考えられるのは、まず一つにあの世界観。プリズムショーと呼ばれるショーの中で歌い踊りプリズムジャンプと呼ばれるジャンプを飛ぶ、しかもそのジャンプが急にハートやキッスを飛ばしたり自転車を漕いだり天蓋付ベットに寝そべったり最後に龍まで飛び出す、私たちが知っているテレビで見るアイドルとは違うことが分かる。キンプリの世界ではプリズムショーがごく一般的に浸透している。この世界は私たちが住む現実とは離れたどこか異空間めいた場所なんだなぁと頭のどこかで考えるのだ。

しかしこのプリズムショーが存在する世界も非常に現実的な問題が数多く存在するようで、エーデルローズの赤字やコウジの渡米によるOver the Rainbowの無期限活動休止、聖と仁の確執などなど、プリティーリズム・レインボーライブ(以下プリリズRL)時から考えると本当に土曜朝10時に子どもが見てたのか?愛憎ドロドロの昼ドラでも韓国ドラマでもないんだぞ!ってくらいのリアリティさ。でもどこか楽観的な気分で見れるのは現実から離れたプリズムショーが存在する世界線だから、という理由に起因するだろう。

プリズムジャンプがアリだから、エーデルローズの負債が133億××××××千円でもジメジメと今後大丈夫なのかなと悩まないで、ま、なんとかなるでしょと思えるし、齢18にしてエーデルローズの負債を一部負担する神浜コウジはスターライトエクスプレスに乗って星座になるのは意味が分からないし(RL完走してからはそりゃあガン泣きですけど)、まぁ、なんとかなるかな!って元気になれる。プリティーリズム系譜の最後はハッピーエンド、みんなハピなる!な雰囲気のせいかもしれない。プリリズRLのpride盗作問題とか法月仁プリズムキングの話とか女の子にも分かるように(本編の邪魔をしない程度に?)描かれてるけど、よく考えると闇の中の闇にしか見えない。アイドルコンテンツで芸能界の闇を見せられるのが嫌だと前述したが、そのどのコンテンツよりもリアリティがあってエグいかもしれないのに、あまりそれを感じない。プリリズが女の子向けで主人公は女の子たちでサブとしてしか描かれていないからかもしれないが、それが逆に暗くなりすぎない絶妙なマイルドさを生み出していてこの塩加減があっぱれ。見ていて新鮮だった。


もう一つの理由としてはOver the Rainbow(以下オバレ)の描かれ方である。大概のアイドルコンテンツはあくまで「アイドル」としての括りの中での成長を中心として描かれる。それはストーリー内でキャラクターが一貫してアイドルないしアイドル候補生として登場するからだ。しかしプリティーリズム・レインボーライブでのオバレの3人はそうではない。オバレの3人は女の子向けアニメでよく見る、ちょっと年上のカッコよくて優しいお兄さん!のような立ち位置*2で、オバレはアイドルとしてではなくひとりの男の子を前提として描かれているということである(そもそもヒロを除くコウジとカヅキはオバレが結成するまで*3アイドルではない)。

私はアイドルの男の子が恋愛している描写はあまり好きではない(夢みさせてほしいという身勝手な願望によるもの)のだが、コウジといとちゃんに関しては概ね許容している。それはコウジをアイドルとしてではなくひとりの男の子と見ているからではないかと推測している。だけど「アイドル」神浜コウジが雑誌のコメント等で交際を匂わせる発言することは容認できないぞ!

また、オバレがアイドル活動している2年間は詳しく描写されてない上に、キンプリでは無期限活動休止を宣言、コウジは作曲の才能を認められ渡米しカヅキは自身のアイドル活動に疑念を抱き自分の本当にしたいことを考えはじめているように見える。速水ヒロ、神浜コウジ、そして仁科カヅキ、彼らを構成する一部分としてアイドルの一面が存在するだけで、彼らはアイドルの枠に縛られてはいない。そもそもプリズムスタァだもんね。キンプリのキービジュアルの3人が手を固く握り締めているのにも関わらず視線は全員別の方向を見つめているのはそれぞれの未来を見つめているからなのかな…なんて思ったり思わなかったりする。

話を戻すと、ひとりの男の子、ひとりの人間を前提にしているから、話に奥行きが出ているのだ。RLを含めてもオバレの3人のエピソードは決して多いとはいえない。それでもオバレ3人の言い分がよく分かるし心情も理解できる。RL内で早いところオバレが結成してしまったらオバレの活動に焦点が当てられて一人一人の人物像は浮かび上がりづらかったのではないだろうか。加えてアイドルでの成功を物語の完成形に据えていない。アイドルコンテンツ特有の俺たちトップアイドルになりました!ありがとう!がゴールではなさそうだ。オバレが今後どんな選択をするのか、ドキドキしながらゆっくり見守りたいと思う。



気がついたら書こうと思ってたことの1割しか書けなかったから時間があったらヒロ様の幸せについて模索するエントリとか書きたい(多分下書きに葬られる)。

 

 

 

 

*1:初めてのキンプリ体験を知らない人は他のブログを見てください。多分見ても分からない。劇場へ行ってください

*2:あくまで立ち位置。あくまで。当時の女の子たちはオバレをどう見ていたのかはすごく気になる

*3:ということはつまり・・・